この記事を読むと、
- 歴代バレーボールの全日本代表監督が分かる
- 過去のオリンピックでの成績が分かる
などの効果が期待できます。
さて、男子バレーのアジア選手権も終わり日本代表戦も一段落したところですが、男子バレーの中垣内監督も退任とのことで驚きですね。。。
オリンピックという大きな大会を節目にこれから新規一転してのスタートですね。
バレー選手への注目はもちろんですが、歴任してきた監督さんやその手腕にも注目してもらいたいと思い、まとめてみました。
全日本男子バレーオリンピックの出場と成績
この記事では全日本男子バレーのオリンピックへの出場歴と当時の監督について紹介していきます
- 1964年 東京オリンピック
監督:坂上光男
全日本男子バレーがオリンピックに初出場したのは、1964年の東京オリンピックです
この大会で男子バレーは銅メダルを獲得しています
- 1968年 メキシコオリンピック
監督:松平康隆
東京オリンピックに続き、今大会にも連続で出場を決めています
結果としては前回大会を上回る銀メダルを獲得しました
- 1972年 ミュンヘンオリンピック
監督: 松平康隆
前回も大会に引き続き3大会連続での出場になります
メキシコオリンピックに続き監督は松平氏となりました
松平氏は最強のチームづくりのために選手の大型化を図り、この大会での平均身長は191cmと東京オリンピックに比べ8cmアップしました
また、海外選手と比較し小柄な日本人ならではの攻撃手段として”時間差攻撃”を発案しました
その結果もあり、ミュンヘン大会では男子バレー界悲願の金メダルを獲得しました
- 1976年 モントリオールオリンピック
監督:坂上光男
5大会連続でのオリンピック出場を決めます
この大会では、お家芸とされていたバレーボール競技で初めてメダルを逃す4位となりました
- 1984年 ロサンゼルスオリンピック
監督:中野尚弘
2期ぶりにオリンピックへの出場を決める男子代表チーム
これまでの大会結果とは大きくかけ離れ、結果は7位となります
- 1988年 ソウルオリンピック
監督:小山勉
今大会では、昨年に引き続きオリンピック出場を決めます
大会結果は10位と前回大会に続き成績は下位と不振に終わりました
- 1992年 バルセロナオリンピック
監督:おおこせいじ
3期連続でオリンピック出場を決めます
大会結果は6位と近年の中では上位進出と結果を残すことが出来ました
この年は、近年では全日本の監督を務めた中垣内選手や植田選手が活躍した大会でもあります
この後、1996年アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピックと3期連続でオリンピックの出場権を逃し、男子バレーボールの低迷期と呼ばれています
- 2008年 北京オリンピック
監督:植田辰哉
この年は16年ぶり(4期ぶり)のオリンピック出場を決めました
アジア予選で勝利した試合で、監督が大の字になって倒れ込んだの印象的でしたね
結果としては出場チーム中最下位の11位
久しぶりに出場したオリンピック大会でしたが、1勝も上げることが出来ず代表選手は悔しい思いで大会を終えました
その後、2012年ロンドンオリンピック、2016年リオデジャネイロオリンピックと2期連続でオリンピックの出場権を逃し、再び男子バレーの低迷期とも呼ばれています
- 2020年 東京オリンピック
監督:中垣内祐一
結果としてはオリンピック7位と健闘しました
男子バレーボールは近年では世界大会にて中々結果を残せずにいましたが、世界選手権やネーションズリーグ、2020東京オリンピックの結果からも再び世界レベルにも通じるレベルまで伸びてきています
日本人選手も海外リーグでプレーする選手も増えてきており、個人の技術力が上がり日本全体のレベルアップに繋がってきています
2024年のパリオリンピックでは、1972年以来の51年ぶりのメダル獲得を期待しましょう!
オリンピックへ出場できなかった年と監督は下記の通りになります
1980年 中野尚弘
1996年 辻合真一郎
2000年 寺廻太
2004年 田中幹保
2012年 植田辰哉
2016年 南部正司
全日本女子バレーオリンピックの出場と成績
次に、全日本女子代表のオリンピックの出場歴と監督についてまとめていきます
初出場は男子バレーと同様に1964年の東京オリンピックになります
- 1964年 東京オリンピック
監督:大松博文
結果としては金メダルを獲得しました
バレー好きな方はおなじみですが、優勝した日本女子チームは”東洋の魔女”と呼ばれその強さが世界に広く知れ渡ったきっかけの大会となっています
世界と比較したときに、体格で劣る日本が考え出したのが回転レシーブでした
この回転レシーブを軸とした守りのバレーを展開するというのが、東洋の魔女の特徴でした
- 1968年 メキシコオリンピック
監督:山田重雄
結果としてはソ連に破れ銀メダルを獲得
- 1972年 ミュンヘンオリンピック
監督:小島孝治
結果としては前回大会同様にソ連に破れ銀メダル
- 1976年 モントリオールオリンピック
監督:山田重雄
結果としては東京大会以来の金メダルを獲得
この大会をきっかけに”新・東洋の魔女”と呼ばれるようになり、再び世界へ強さを証明できた大会になります
- 1980年 モスクワオリンピック
この年は日本はオリンピックへの参加を辞退しました
- 1984年 ロサンゼルスオリンピック
監督:山田重雄
2大会ぶりにオリンピック大会への出場となります
今大会では中国、アメリカに次ぐ銅メダルを獲得しました
この年から、伝説のセッター”中田久美”が代表デビューとなります
- 1988年 ソウルオリンピック
監督:山田重雄
2期連続でのオリンピック大会出場となります
今大会ではオリンピックでは初めてメダルを逃す4位という結果になりました
この年からは、バレー解説者としてお馴染みの”大林素子”が代表デビューし活躍し始めます
- 1992年 バルセロナオリンピック
監督:米田一典
今大会の結果は5位となり、2期連続でメダルを逃してします
女子バレーが少しずつ低迷し始めてしまいます
- 1996年 アトランタオリンピック
監督:吉田国昭
大会の結果は7位入賞という結果
前回大会に続きオリンピックでのメダルを逃してしまいました
翌大会である、2000年のシドニーオリンピックは女子バレーボールチームとしては初めてオリンピックの出場権を逃します
女子バレー低迷期となっています
- 2004年 アテネオリンピック
監督:柳本晶一
女子バレー界の再建という任務を抱え、柳本さんが監督に任命されました
結果としては5位入賞
オリンピック出場を逃した前大会や前回出場したアトランタ大会から立て直しを図り5位入賞という結果を残し、翌大会でのメダル獲得が期待されていました
- 2008年 北京オリンピック
監督: 柳本晶一
期待を背負っての2期連続での監督を引き受けます
今大会での結果としては前回大会同様に5位入賞となりました
- 2012年 ロンドンオリンピック
監督:眞鍋政義
今までの日本にはない、世界レベルでの”データバレー”を合言葉に眞鍋監督が女子バレーをけん引していきます
今大会では、36年ぶりのメダル獲得(銅メダル)となり、再び世界へのトップに名乗りを上げる大会となりました
- 2016年 リオデジャネイロオリンピック
監督:眞鍋政義
今大会の結果としては5位
前回大会で結果を残せた反面で、世界からマークされそこに対応できませんでした
- 2020年 東京オリンピック
監督:中田久美
結果としては10位と過去の出場成績の中では最も低い成績となりました
”伝説のチーム”をという言葉を合言葉にチームつくりをしてきましたが、チームとしての層の厚さに課題があったのかなと感じています
是非今大会の悔しさをバネに2024年のパリオリンピックでは頑張ってもらいたいですね!
※オリンピックへ出場できなかった年と監督は下記の通りになります
2000年 葛和信元
まとめ
今回は、男子バレーと女子バレーの過去のオリンピックでの結果と当時チームを率いた監督について紹介しました
男子バレーはオリンピックに出場できない時期が長く、苦しい期間が長かった分今の活躍がとても輝いて見えますよね!
女子バレーは世界のトップに君臨する時代もあり、世界の第一線で活躍している印象が強くあるため、最近は少し物足りなさを感じてしまいます。。。
2020年の東京オリンピックでは、男子バレーと女子バレーは違った悔しさが残る結果となりましたが、どちらも若いチームであるため、今後の成長に期待したいですね!
以上になります。
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